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節分って決まった日じゃないの?誰が決めるの??豆まく意味は

豆まき

節分って2月3日じゃないの?

「2021年の節分の日は2月2日です」ーー実は節分は固定ではなく、「立春の前日」なのです。今年の立春は2月3日なので、124年ぶりに節分が2日になるんだとか!

「えっ、どゆこと?」と悩んだり、「自分の誕生日は節分の日と言い続けてきたのに…」など、皆さん驚きや困惑があるかと思います。

豆まき

「節分の日」は誰が決める?

立春は誰が決めているのか、ご存知でしょうか?
それは日本天文学の中核の研究機関、〝国立天文台〟です。

「暦書」の編製をしている国立天文台は、毎年2月最初の官報で、翌年の暦要項(れきようこう)を発表します。

暦要項とは、国立天文台が毎年2月最初の官報に掲載する、翌年分の暦に関する事項をまとめたもの。
翌年の「国民の祝日」「日曜表」「二十四節気」「雑節」「朔弦望(月の満ち欠け)」、東京の「日出入、日食・月食」などが記されています。

カレンダーや手帳メーカーの人たちは、この発表を受け翌年の商品を製作しめす。

2020年2月3日(奇しくも節分の日当日ですね!)に発表された「令和3年(2021)暦要項」の中の「二十四節気および雑節」のページに、2021年の立春は2月3日と記載されています。

124年ぶりで、37年ぶり

暦により天体の運行を見積りし、暦象年表の発行及び暦要項の発表を行う、国立天文台の暦(れき)計算室によると、節分の日が2日になるのは1897(明治30)年以来124年ぶり、3日でなくなるのは、1984(昭和59)年2月4日以来の37年ぶりだそうです。

豆まきのルーツ?

邪気を追い払うためとして、古くから豆撒きの行事が執り行われています。
が、いつから豆まきが行われているのでしょうか?

「宇多天皇の時代(867年-931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説」があったらしい。

中国から伝わった「追儺(ついな)」という中宮中行事で、平安時代(794~)の初め頃から行われている、鬼払いの儀式がベースだといわれています。

そして、更に遡ると、日本最古の歴史書である『古事記』(712年太安万侶編纂)に、ルーツらしきものが登場します。

多賀大社の御祭神である伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の物語です。
詳しくは、古事記(現代語訳版)を検索してください。

かいつまむと

亡くなった奥さんの伊邪那美が恋しくて、夫の伊邪那岐は黄泉の国の入口まで行き、伊邪那美に会いたいと話をします。
伊邪那美は「ちょっと待っててね、責任者に聞いてくるから。でもね、決して扉を開けないでね。」と、言ったのに待ちきれずに伊邪那岐は 開けてしまいます。
そこには、腐りかけた奥さんの姿がありました。すると「見たなぁ~!」と、伊邪那美が恐ろしい形相で追いかけ、更に黄泉軍1500人が追いかけてきました。
黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に達した時、桃の実(種)を3個を投げると、軍勢は退散しました。
そして、伊邪那岐はその桃に 「私を助けてくれたように、人民が苦しいときには助けてくれ」と言って、意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)という名前を与えました。

桃の霊力を豆に

​実際に桃の種は桃仁と言って、現在も漢方の生薬として利用されていて、特に婦人科系の症状に効くと言われています。

豆=桃のルーツは、伊邪那岐命=多賀大社

出典は不明ですが、神社の節分の祝詞に「桃の霊力を豆に移す」というのがあるそうで、豆まきのルーツは貴船神社だと言われてはいます。が、「豆=桃」のルーツは伊邪那岐命であり、御祭神としてお祀りしている多賀大社でいいんではないか!と思います。

ならば、本家本元の多賀大社で豆を買う

神社などの厄除けの豆まきや節分祭で撒く豆は、「桃の霊力を豆に移す」ための祈祷をしているのでしょうが、スーパーで売っている豆はどうなんでしょう??
出荷前に祈祷してるといいなぁ、と思う今日この頃でした。

最後にもう一度。2021年、今年の節分の日は2月2日です。豆まきや恵方巻の準備はお間違えになりませんよう!

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