今日は何の日?シリーズ!
母親大会記念日
1955(昭和30)年6月7日、東京・豊島公会堂で「第1回母親大会」が開催されたことを受けて制定された記念日。
母親大会は、
・社会問題
・教育
・育児
・平和
・女性の地位向上
などについて母親の立場から考え話し合い、互いの連帯を深めることを目的に開催される大会で、平塚らいてうなどの女性運動家が決起。
第1回大会では約2,000人もの人が集まり、前年の1954(昭和29)年に起きたビキニ環礁での水爆実験実施に対する反対運動が呼び掛けられております。
また、この大会をきっかけに母親たちの社会活動への意欲が高まったとされております。
緑内障を考える日
緑内障の患者やその家族で作る「緑内障フレンド・ネットワーク」が制定。
「りょく(6)ない(7)しょう」の語呂合せ。
むち打ち治療の日
むち打ち治療協会が制定。
「む(6)ちうちをな(7)おそう」の語呂合せ。
ムダ毛なしの日
「む(6)だげな(7)し【ムダ毛無し】」の語呂にちなんで、除毛・脱毛ブランド「Veet」を展開するレキットベンキーザー・ジャパン株式会社が記念日に制定。
夏に向けて素肌を出し始める全ての女性たちに、思わずさわりたくなるすべすべ肌を手に入れて欲しいとの願いが込められている他、同社が展開する除脱毛製品のアピールも兼ねております。
鉄人・衣笠祥雄氏が2,000試合連続出場記録を達成
1986(昭和61)年6月7日、対阪神タイガース戦で、日本プロ野球史上初となる2,000試合連続出場記録を達成しました。
この偉業は、「17年間休まなかった男」としても脚光を浴び、また当時はスポーツ医学に関する知識が充分ではない時代での記録達成に、
・怪我を克服する強さ
・野球選手としての身体造り
・プロ選手としての在り方
など、その多くが賞賛されました。
その後連続出場記録は2,215試合まで伸び、その功績は「鉄人」の愛称と共に讃えられております。
また、2,215試合連続出場記録を打ち立てたことで国民栄誉賞を受賞しており、衣笠氏のつけていた背番号「3」は、広島カープの永久欠番に指定されております。
第1回全国自動車競走大会が開催
1936(昭和11)年6月7日、日本初となる本格的自動車レース「第1回全国自動車競走大会」が多摩川スピードウェイで開催されました。
それ以前から自動車レースや大会自体はあったものの、広場や空き地を利用したものが多く雨が降ると地面がぐちゃぐちゃになるなど、主に環境面での問題が多かったそう。
そこで、有志が募り多摩川の土手に舗装が施されたコースとして「多摩川スピードウェイ」が完成。
大会は、
・フォード:アメリカ
・ベントレー:イギリス
・ブカッティ:フランス
・フラスキーニ:イタリア
など、海外産の車も多数参戦しており、車体の大きさ別にレースが行われるなどかなり大規模なもので、約3万人以上もの観衆が集まるなど大盛況でした。
ちなみに、同大会には後に本田技研工業(現:HONDA)を起ち上げる本田宗一郎氏も参戦していたそうです。
戦後すぐに多摩川スピードウェイは廃止されたものの、跡地の一部は「多摩川丸子橋硬式野球場」として現在も残っており、座席跡や階段などは当時のまま現存しております。
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