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今日はなんの日?1月17日の雑学!面白い知識でコミュニケーションを潤滑にしよう!

今日はなんの日シリーズ!

防災とボランティアの日/ボランティア元年

1995(平成7)年1月17日に発生した兵庫・淡路島北端を震源とするマグニチュード7.2の大地震「阪神・淡路大震災」が記念日制定の所以となっております。
阪神・淡路大震災では政府や行政の対応の遅れが批判された一方、学生を中心としたボランティア活動が活発化したことから、後に日本のボランティア元年と言われ始めました。
この大震災を機にボランティアへの意識が高まったことで、

「ボランティア活動への認識や活動内容などを深め、災害に対する備えの充実強化を図る」

意図を込めて閣議決定にて「防災とボランティアの日」が制定されました。
また、例年1月15日~21日は「防災とボランティア週間」となっており、阪神・淡路大震災が起こったときの様子などを後世に受け継いでいく取組みやイベント等が催されております。

また、震源となってしまった兵庫県は、1月17日を「ひょうご安全の日」として独自の記念日を制定しております。

阪神・淡路大震災記念日

1995(平成7)年1月17日午前5時46分、兵庫県・淡路島北端を震源とする大地震が発生。

・震源:淡路島北部
・規模:マグニチュード7.2
・犠牲者:6,400人以上
・負傷者:4万3,100人以上

と未曾有の大被害をもたらした

「阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)」

は、震源となった兵庫県を中心に近畿圏の広域で甚大な被害をもたらしました。
建物や道路などの瓦解、崩壊が相次いだことで、その下敷きになってしまい亡くなった方も多く、また、道路の崩壊などで水道管設備にも不純をきたし、火災の鎮火活動が行えなくなるなど、連鎖的被害が拡大してく悪循環も重なってしまいました。
阪神・淡路大震災の影響で全壊、半壊した家屋は約25万棟以上にもなり、戦後最大となる被害規模は、日本国内のみならず、全世界に大きな衝撃をもって伝えられました。

おむすびの日

1月17日に発生した阪神・淡路大震災時に、ボランティアの炊き出しなどで被災者が励まされたことから、米に関係する民間企業やJA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が記念日を制定。
いつまでもこの善意を忘れないために公募によって記念日に制定されております。
また、食べる「おむすび」だけでなく、人と人との心を結ぶ「おむすび」の意味も込められております。

湾岸戦争開戦記念日

1990(平成2)年8月2日に起こったイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国連が多国籍軍(=連合軍)をイラクに派遣。
連合軍はイラクのクウェート撤退を期限付きで呼びかけていたものの、イラクはこれを拒否。
この拒否により、1991年1月17日、連合軍が武力行使を実行しイラクを空爆しました。
これにより「湾岸戦争」が勃発。
連合軍は圧倒的勝利を収めましたが、

・環境破壊
・イラク経済の混乱

などを引き起こし、アメリカ主導による強引な展開策に対して連合国の諸国が疑念を募らせる側面も燻る状態になりました。
湾岸戦争は、その作戦名から「砂漠の嵐作戦」または、

・「第1次湾岸戦争」
・「イラク戦争」

 

とも称されております。

 

尾崎紅葉祭 / 今月今夜の月の日

小説家・尾崎紅葉の著作

「金色夜叉」

の中で、主人公・貫一と交際していたお宮が結婚を間近にして富豪・富山唯継のところへ嫁いでしまうことに。
貫一を裏切った恋人・お宮に対して、貫一は静岡県・熱海市の海岸にて、

「可(い)いか、宮さん、一月の十七日だ。
来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから」

と言い放ち、足蹴りにして別れを告げる場面が。

※『金色夜叉』前編第8章

このことから、1月17日の夜が曇り空になることを「貫一曇り」と呼ぶようにもなっております。
また、小説の舞台となった静岡県熱海市・熱海サンビーチ付近には、同場面を表現した「貫一お宮の像」がある他、記念碑が建てられたことにより呼ばれるようなった、近くで育っていた松「お宮の松」も現存しております。加えて、例年1月17日には同市にて「尾崎紅葉祭」が開催されており、同小説を元にした演劇等が催されております。

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