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今日はなんの日?8月23日の雑学!面白い知識でコミュニケーションを潤滑にしよう!

今日は何の日?シリーズ!

奴隷を廃止する事に大きな一歩があった日です!
また若者達の痛ましい事件がありました、、、

そして超強気な将軍の誕生した日です。
さらに人間の尊厳について大きな宣言もありました。

苦しんでも生き続けるのか、苦しまないように死を選ぶのか、、、
大きな課題ですね。

奴隷貿易とその廃止を記念する国際デー

国連教育機関「ユネスコ」より8月23日へ記念日制定された国際デーのひとつです。

英語表記:International Day for the Remembrance of the Slave Trade and Its Abolition」

1791(寛政3)年8月23日に「フランスの植民地」だった「サン=ドマング(現:ハイチ)」で「ハイチ革命」が始ったことより由来していてこの革命が「大西洋奴隷貿易廃止の重要なきっかけとなった」ことより国際的な記念日とし設けられています。

白虎隊自刃の日

明治元年8月23日「戊辰戦争時」会津藩にて「白虎隊」が自刃したことより「追悼の念」とその「事実」を後世へ語り継ぐため制定された記念日となります。

※新暦:1868年10月8日

「戊辰戦争」時に会津藩では軍を年齢により、

・白虎
・朱雀
・青龍
・玄武

と4つの班へ編成していて「白虎隊」は「最年少となる16歳〜17歳の少年」たちで構成されていました。
後に「越後戦争」「会津戦争」と呼ばれる戦闘を繰り広げていたところでの明治元年8月23日「飯盛山」にいた白虎隊は自陣である若松城近辺で火の手が上がったのを目撃しました。

この火の手を「若松城が落城」してしまった、、、と勘違いをしてしまい「20人の隊員全員」がその場で自刃する最期となってしまいました。
若松城の落城は「明治元年9月22日(新暦:1968年11月6日)」とされています。

油の日

貞観元年8月23日に「時の清和天皇」の勅命を受けて当時九州にある「宇佐八幡宮」が大山崎に遷宮されました。

※新暦:859年9月27日頃

「宇佐八幡宮」は「全国にある八幡宮の総本山」とされていて「宇佐八幡宮」の一社である「離宮八幡宮」より荏胡麻の種子から「油を搾る道具」の発明がされています。
このことより「宇佐八幡宮」がある京都府が「日本の製油発祥の地」となっていることにちなみ「京都府大山崎町」にある「離宮八幡宮」「油脂事業」を展開している「カネダ株式会社」らが記念日へ制定しています。

徳川家光「生まれながらの将軍」発言

1623年8月23日(旧暦:元和9年7月27日)「二代将軍・徳川秀忠」の次男だった「徳川家光」が家臣の前にて行う「第三代将軍就任式」を行いました。
将軍就任自体は「既済将軍」とし第一声である「将軍宣下」では配下に向かい「貴殿らと余は親しくもないし、貴殿らのおかげで将軍になれたわけではない。余は生まれながらの将軍である。」など異例と言える「強気発言」を展開しました。

さらに続け「貴殿らがこれまで祖父(=徳川家康)や父(=徳川秀忠)とどのような関係であったかは関係ない。今後余の一家来として働いてもらう。これに不服があれば今すぐ国許へ帰り弓矢を取るがよい。我が徳川800万石で余自らお相手致す。」など「宣戦布告的将軍宣下」を断行しました。

※いずれも意訳

その時は家光は若干20歳でした。
そのような強気の発言もあってか以後「約27年9ヶ月」と歴代の5番目に長い「将軍在任期間」となっています。

安楽死国際会議が東京で開催

1976(昭和51)年8月23日「東京で安楽死に関する国際会議」の開催がされました。
「安楽死」に関して「安らかに苦しまずにこの世を去る権利がある」「与えられた生命を絶ってはならない」など意見が二分するところ同会議では、

・安楽死の必要意義
・死が社会へ害を与えないこと
・個人の意思に委ねられること
・関係者の意見も尊重すること
・時代ごとに在り方を話し合うこと

などの確認をし「生者の意思のもと安楽死も可能である」とする「東京宣言」がされました。

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